乗り越えられない試練はないのか

よく聞く言葉に
「試練は、乗り越えられる者にしか与えられない」 というのがありますが
私は実は・・・あんまり好きな言葉ではありませんでした。

その試練(迷惑?)を与えてくれた本人から軽~い調子で言われちゃったり
「まあ頑張ってね」ぐらいのニュアンスで使われたり
なんか「都合のよいセリフ」という気がしていたのです。

でも昨日、まさにこの言葉でしか表せない事実を見て・・・
そう、ご主人様を亡くした彼女のことです。

昨日も夕方、もう一人の友人とお宅を訪ねて、横たわるパパにお別れをしてきたのですが
その傍らで、初めて病気発覚からの詳しい経過をうかがって・・・
そのあいだ中、私の頭の中にはあの言葉がどんどん広がっていきました。

時系列での、起こった事実とそれに対する彼女の受け止め方、対処法がものすごく冷静沈着、
感情的に泣きわめく、とはいかないまでも、絶望的に落ち込むことは一度もなかったし、
ご主人様も彼女も、突然目の前に突き付けられた「死」というものを速やかに受け止めて
速やかにエンディングタームへシフトチェンジしていく様が見事としか言いようがない。

細かい一つ一つのことは書けないけれど、
聞いている私たちは泣きっぱなし、息もできないぐらいの過酷な選択や決心の連続なのに
ご主人様のお考えにすぐに沿って受け止めて立ち上がって進んできた彼女。

ご主人様の職場のあるビルは7階建ての持ちビルで、下の数階がお仕事場、
上の数階にかつてはご主人のご両親やご兄弟が住んでいたそうで
ご両親が亡くなってからはそのお住まいはパパさんがお仕事の合間に休んだり
忙しいときはそちらに泊まったり、という形で使っていらして

ご主人の発病後、彼女はご主人の希望で急きょそのお仕事場の責任者になって
びっちり数か月、ご主人の厳しくもある指導を受けて引き継いでいったそうです。
ご主人の看病は上のお嬢さんと二人三脚、彼女は毎日早朝から職場へ行って
ご主人の代わりをしてくれる人や、動揺する従業員をまとめたりと大奮闘、
去年までとは180度違う生活。

「結婚を決めて、初めまして、ってご挨拶に行ったとき、
 あのビルには人がいーっぱいいたの。両親や弟や、ほかの家族も。
 あー、この中に入るんだなー、って戸惑うような気持ちもあったのに
 今、両親も亡くなって、兄弟たちはほかの場所に移って、そして主人も亡くなって
 私一人になっちゃった。
 昨日、職場のビルを見上げて、このビルが私一人の肩に乗っちゃったと思ったら身震いした。
 でもね、ああ、私はこの仕事を任されるために選ばれたのかな、神様のご計画だったのかな、
 私にはできるんだな、やらなくちゃって・・・ 思ったわ。」

彼女の数々の言葉に感動、いやむしろ圧倒されて、我が身の小ささに改めて呆然として
帰宅後、思わずあの言葉の出典を調べたら

新約聖書 コリント人への手紙第1 10章13節 (312ページ)
   「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。
   神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、
   試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」

この他に、孟子の言葉にも「天が選んで大任を負わせる人にするために与えたもうた」
というような一節があるようで、
ああ、古今東西、深いところにある真実は同じなんだわ・・・と、深く感じ入ったのです。。。


そして、比べようなく些細なことですが、私の腰痛体質、ぎっくり腰持ち、
今回は全快しましたが二度と起こさないために
これも乗り越えられない試練ではないはずだわ!と思いを新たにしつつ
新しい対策にチャレンジを始めましたよ066.gif
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                                         れおにも迷惑かけちゃうものね・・・



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by mamimi-loves-leo | 2013-06-18 18:15 | 考えたこと | Comments(5)

Commented by chaco-o at 2013-06-18 20:03
想像することさえ失礼だろうし、同じように考えるなんてもっと失礼だろうと思いますが・・・・・
家族の死を受け止めると、そこからは何故か・・・・強くなれたりするもんなんです(私はそうだった)
「天が選んで大任を負わせる人にするために与えたもうた」とう部分、どうなんだろう・・・?
私自身、今、自分なりに大役を引き受けてしまって後悔をしています。
「わたしなどにはこなせない」と。
Commented by ceri at 2013-06-19 08:48 x
冒頭の言葉、初めて本心から考えたのは妹が二度目の流産をした時。そんな力があるとは思えない、妹をお選びにならないで下さい。
お友達のお話、勘違いかもしれないけれど私はもうずいぶん前にお聞きしていましたよね。突然ご主人様のお仕事をお手伝いすることになって、お休みがなくなる。その前にランチを。「お心やすく日々を過ごされますように」ずっと思っていました。
私も祈りの中で教育を受けました。「神様のご計画」、未熟者故 理解できず葛藤したり、不満を思うことも沢山。目に見える歩は進んでいないようでも、今までの全ての時間が支える糧となって準備されていたのではないでしょうか?ご主人様との幸福な日々が残された時間を一瞬たりとも惑うことなく進ませて下さったのでしょう。弱虫の私には考えもつきません。笑顔の記憶の残る場所にお一人で佇まれても 決して一人ではありません。負うものの大きさに押しつぶされてしまいませんように。きっと支えてくれるはず。
旧約聖書 士師記18.6
「安心していかれるがよい、あなたがたが行く道は主が見守っておられる」
背に手を添える温もりでご一緒させて頂くことは適いませんが、お友達のために 祈らせて下さい。
Commented at 2013-06-19 08:54 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by mamimi-loves-leo at 2013-06-19 20:09
chaco-oさん。
身内の死を経験して強くなるということはあるかもしれませんね。
それにしてもあまりにも突然の宣告、良く受け止めたと思います。
天が選んで・・・というのは、
深く納得できるときもあるしできないときもありますが、その時でなくて
時間が経った後でああそういうことかと思うこともあるのかと思います。
あの辛い時期があったから今これができる、とか。
辛いけれどどう受け止めて立ち向かうか、が大切なのでしょうね・・
Commented by mamimi-loves-leo at 2013-06-19 20:25
ceriさん。
私と友人の母校もミッションスクールでしたが、二人とも洗礼を受けてもいないし教会にも今は滅多に行かないのですが
やはり幼いときからそういう教えを受けているといざこういう大きな事態に直面すると自然に教えに沿った考え方が浮かんできます。
それでも受け止めるのは難しいことが多いですよね・・・
この友人Uさんは、以前に書いた友人とは違うのです。
紛らわしくてごめんなさい、Uさんは今年に入ってご主人に頼まれるまで一度もこの仕事を手伝おうと考えたことなく、自分の仕事を別に持っていたのです。それだけに自分が築いてきたキャリアを諦めてまったく畑違いの仕事をすることに大きな戸惑いがあったと思います。
でもceriさんのおっしゃる通り、今までのご主人との幸せな生活への感謝があるから決心したのだと思います。
Uさんに士師記の御言葉を伝えますね。
一緒に祈ってくださるかたがいるから、とも。
こちらこそ、いつもじっくり読んでくださってありがとうございます。
御心のこもった温かいコメント、感謝しています・・・