ドッグセラピー

20代の終わりごろ、しばらくカルチャーセンターの小説教室に通っていた。

私の専攻は音楽だ。小さいころからずっと楽器を弾いて、音楽高校、音楽大学を出て、
そのまま演奏したり教えたりの仕事をしていた。
なにか違うことがしたい。音での表現ではなくて言葉を使った表現をしてみたい。
まあ、今でいう『自分探しの旅』ですね。
『自分探しの旅』が建設的結果を産むことが少ないように、私の旅も2年ほどで終わり、
なんの結果も残さなかったが、経験だけは残った。
音楽をしている人たちは個性的で特殊だ、と思っていたけれど、小説家を志す人たちもかなり個性的で特殊だった。
派閥ができたり、先生にとりいったり、妬んだり、人間の集まるところはどこも同じだった。
でもあの2年間の刺激は強烈だったようで、今でもいろんなことを覚えている。

教室ではまずそれぞれ「習作」を書いて、それをテキストに授業は進む。
私は新参者のまま終わったのであたりさわりないお客様扱いだったけど、何年も通っていて小説誌や新聞社の新人賞の最終選考まで残った、とか、佳作だったことがある、というような人たちは迫力が違った。
「このあたりはいつものAさん節だけど、後の展開がねー」「絞れていないね、焦点が見えない」
など、生徒同士でやりあう。少し、いやかなりコワーイときもある。

でも不思議なことに、あとになってみるとこういう「てだれ」の作品は全く覚えていない。
覚えているのは、私みたいな「入ってみた」風の人たちの作品。

おとなしそうな、ファッションもわりと地味な中年女性。普通のおばさん風の人の作品には驚いた。
夫の浮気を知った妻の話。会話もリアル。ちょっとエッチな描写。えっ、えっ、えーっっ!!
もっと驚いたのは、彼女が「全部実話です。」と言い切ったこと。
先生は苦笑いをしながら「小説は私怨をはらすためのものではないんですよ」とおっしゃった。

その作品の中で、夫が出ていき深く傷ついた彼女は酒びたりになっていく。依存症に近いまでに。
その彼女を救ったのが「犬」だったと。
夜明け近くまで飲んでいて気を失うように眠る。でも朝のある時間になると犬が散歩をせがむ。
もうろうとしながらも家をでる。
ここの記述が印象的だった。
「体中の毛穴から匂い立つようなアルコール臭をさせながら」
彼女は犬と歩く。

当時犬未体験の私にはちょっとピンとこなかった。えー?犬がせがむからー?それだけでー?
しかもそれで彼女は立ち直るのだ。自分の生活のリズムを取り戻すのだ。


a0157174_1315918.jpg今、私は毎朝必ずれおとお散歩している。
アルコール臭こそさせていないけど
疲れてても眠くても風邪気味でも
やるべきことが山積みでも。
本当に嬉しそうなれおを見ながら
冷たい空気の中を歩くと頭の中が澄んでくる。
帰った後の段取りが浮かんでやる気がでてくる。


a0157174_1316135.jpgあながち大げさではなかったのかも、と今は思う。
「さあ、行くわよ!」と声をかけて寒ーい朝の道を歩くときに
あの人は今どうしているかなあ、と思う。

「体中の毛穴からアルコール臭」
印象的でした、と伝えたい。

by mamimi-loves-leo | 2010-02-08 13:24 | 考えたこと | Comments(0)