ぼくおが戻ってきてくれて間もなく、私は次女を妊娠、出産した。
一人目と二人目では、迎える気持ちの余裕が全く違う。母親としての覚悟ができているから。
そして、母親がゆとりを持って育てているためか、次女は簡単に眠る、手のかからない子だった。
ぼくおと次女が並んで眠るそばで、長女とゆっくりアンパンマンのビデオを見る。
あるいは眠る次女を母に託して、長女と公園に遊びに行く。
こうして二人の成長をゆっくりじっくり見ていよう。子育ての醍醐味、本当の喜びはこれから。
次女が三カ月に入り、長女が三歳になった八月。
余裕で子育てできている私を見て安心して、両親は恒例の夏休み旅行に出かけて行った。
3泊4日の北陸旅行。
「じゃ、行ってきますよ。」インターホン越しに言ってきた父を、外に出て見送ることもなく
「はいはーい。」と軽く返した。
そして、それが父との最後の会話になった。
旅先で父は、心筋梗塞を起こして急死した。帰ってきた父は冷たい亡骸だった。
それからのことは記憶が断片的で思い出せない。ただ圧倒的な悲しさ、寂しさ、虚しさ、後悔。
でも本当に辛かったのは、あまりのショックに自分を失い、別人のようになった私の母。
体も弱り、次の誕生日にはいないのでは、と心配でもあり、でも深刻なのは心。
一つ一つのことが全く間違って受け取られ、泣かれたりひがまれたり怒られたり、
今、母は普通じゃないから、と自分に言い聞かせても、やはりやりきれない。
「そんなこと言ってないじゃない。」「めちゃくちゃなのはママの方でしょ。」
繰り返す口論と、言い過ぎた後悔の繰り返し。私はまた余裕を失くしていった。
お決まりの口論。怖がって半泣きの長女。ぐずり始める次女。
そこに、開けて外に出して、開けて中に入れて、とひんぱんに出入りするぼくお。
「もう!ぼくおまで!いい加減にしてよ!!」と怒鳴ってしまう私。
そんなことを繰り返しながら、翌年の5月17日。奇しくも母の誕生日。
ぼくおは出かけて行って、そして二度と戻ってこなかった。
三日経ち、四日経ち。私は思い知った。とうとう取り上げられたんだ、と。
このときは、どこにも電話もしなかった。事実を直視するのが怖かったから。
これ以上傷つきたくなかった。どこかで大事にされているんだ、と、思いこもうとしていた。
ぼくおの話はここまでで終わってしまう。
献身的に看護して看取ったわけでもなく、半狂乱で探しまわりもせず。
私はぼくおのために号泣することもなく、ただ自分の心を守るために、
曖昧のままパンドラの箱に押し込んだ。ぼくおが選んでくれたママだったのに。
それが申し訳なくてならない。後悔が残って消えることはない。15年経った今でも。
れおが来た今、なぜかぼくおが思い出されてたまらないときがある。今更泣いてしまう。
ぼくおに謝りたい。謝りたい。ごめんね。ごめんね。ごめんね。。。
ずっと謝り続けるのだ。ごめんね。ごめんね。ぼくお、ごめんね。。。
▲ by mamimi-loves-leo | 2010-03-31 23:10 | ぼくお | Comments(12)